中村哲さんとは誰?アフガニスタンの用水路で有名になった理由

(画像引用)

中村哲さんが亡くなりました。ニュースを見るまで、誰なのか知りませんでした。

さらに、多くのアフガニスタン人が、日本人へ「ごめんなさい」と謝ってる理由も。

中村哲さんとは誰なのか調べていくうちに、アフガニスタン人なら誰でも知ってるくらい有名な英雄ということがわかりました。

そこには、日本人を切り取ることができない深い関係がありました。

ここでは、中村哲さんとは誰なのか、日本人と切っても切り離せない理由を紹介します。

一発でわかる、中村哲さんの功績

上記の画像をスライドしてみてください。

同じ場所で撮影された広大な大地が緑(麦)に変わってるのがわかると思います。

中村哲さんは、この何もない地帯を田園に成功させ16万人の生活を復活させた功績を持ちます。

しかし、この功績1つだけではありません。

まずは簡単に中村哲さんのプロフィールを見てみましょう。

中村哲さんのプロフィール

1946年9月15日 福岡県福岡市生まれ 医師、NGO組織「PMS」現地代表

1973年に九州大学医学部卒業後、国内病院勤務ののち、1978年に7000m級の登山隊の同行医師として参加した。

その時に立ち寄った村々で、医療を受けれない人達を目のあたりにする。以降、日本とアフガニスタンを行き来するようになる。

1984年、ハンセン病医師としてペシャワールに赴任

2003年にマグサイサイ賞、第14回イーハトーブ賞受賞

2013年、第24回福岡アジア文化賞大賞、第61回菊池寛賞を受賞

2014年、第1回城山三郎賞、第4回梅棹忠夫・山と探検文学賞を受賞

2016年、旭日双光章受章

2018年、アフガニスタンの国家勲章を受章

2019年10月7日、アフガニスタン名誉市民権を授与

2019年12月4日、銃撃され亡くなる

プロフィールを見ていると、たくさんの章を受賞されるのがわかると思います。

長くアフガニスタンに暮らしていただけではありません。

医療・水源事業・農業を通し、35年間の活動で150万以上のアフガニスタン人の命を助けてきました。

その功績を歴史を沿いながら見て行きましょう。

あまりにも功績が多いので、消化不良にならないようにお読みください(笑)。

アフガニスタンとは?
アフガニスタン(アフガン)は、2000m級の山々が連なる山岳国家。

人口3500万人、10を超える民族からなる集合国家となっている。

30年以上続く内戦のため一般の旅行客の入国は禁止。

異常気象の影響を受けやすい地域で、これまで大干ばつや食糧難で大量の死者を出す。

ドラマ「深夜特急」でも、アフガニスタンの国境で足止めされルート変更を余儀なくされる。

中村哲さんの偉業と功績

1998年 PMS(ぺシャワールメディカルサービス)をダラエ・ヌールに創設


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ハンセン病患者の診療を主に医療をすすめる。

これまで合計7か所の診療所を立ち上げる。診療所の一つは、標高3500mの行くだけでも7~10日かかる場所にあった。

(現在は、政府へ譲渡や地域変化のため1カ所のみ運営している)

診療人数は44500人(2017年度)

建設資金は、日本人の人々の寄付でペシャワール会を通し建てられた。

ペシャワール会とは?
ペシャワール会とは、中村哲さんの活動を支えるNGO団体。

現地スタッフ300人 会員人数約13000人

毎年会員から集まる約3億円がアフガニスタン復興の活動費となっている。

ペシャワール会のスタッフなしには、アフガニスタンの人々の貢献は不可能だった。

1993年マラリアが大流行


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大地に水田が戻り、平和が戻ったと思った矢先、マラリアが大流行。

抗マラリア薬の不足や、抗マラリア薬を購入できるアフガン人が少なく、1000人ほどしか配れませんでした。

当時、ペシャワール会にも抗マラリヤ薬の購入資金が30万円ほどしかなく、

日本でのテレビ放送や街頭募金で集まった2000万円で、抗マラリア薬を配り2万人以上のアフガン人を助けることができました。

2000年7月、100本の井戸掘り計画が始まる

(画像引用)

2000年に発生した異常気象で、人類が誰も体験したことがない大干ばつがアフガニスタンで起きました。

周辺国家合わせ6000万人が被災したといわており、深刻な水不足から、泥水を飲む人や汚染された食べ物を口にし伝染病(赤痢)が広がりました。

家畜の90%が死亡、400万人が飢餓に直面し、600万人の難民が発生。

その時、中村哲さん主導のもと、100本の井戸掘り計画が始まりました。

中村哲さんは医師のため、井戸を掘った経験がないため悪戦苦闘でした。

日本人の専門家の助言で手探りで堀り、少しづつ井戸堀りを加速させ、

2001年2月、(一部のエリアで)大地に緑が戻り飲み水・農業用水・トウモロコシ畑が蘇りました。

このときから、アフガニスタン人からドクターサーブ(先生さま)と呼ばれるようになりました。

サーブとは?

呼び名の称号。英語だと「サー、〇〇」に当たる。

英語だと一般人には、ミスターやミセスをつけて名前を呼ぶが、その最上級の称号。

2003年、全長25.5キロの用水路計画がスタート

この用水路計画のプロジェクトはNHKのドキュメンタリーとして特集されました。

2003年といえば、ニューヨークで起きたオサマビン・ラディン氏首謀の、世界貿易センター同時爆破テロのとき。

アメリカは報復としてアフガンに軍を送りました。

用水路を掘ってるときに、上空にアメリカ軍の軍機が何機も通過し、攻撃ヘリコプターからの誤射もあったことから死と隣り合わせでした。

このプロジェクトの最大の目的は、「何世代にもわたって使うことができる用水路」を作ること。

現代技術といわれるコンクリートは、耐久性がありません。

耐久性がないということ補修にお金がかかり、重機が必要です。

それでは貧しいアフガニスタン人が自分達で直すことができません。


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そこで、日本の江戸時代に使われていた伝統技法を多数利用することを決め、

コンクリートではなく、針金のカゴの中に石を引き詰めて水の流れを作り出しました。(上記の写真)

しかし、針金の耐久年数は15年ほどしかないため、

石の周りに柳を植えることで根が石の間に絡みつき何世代と使えることを可能にしました。

日本の伝統技法は、江戸時代からつい最近まで使われており、自然に逆らわず、自然に近い作りと称されています。

この7年かかるプロジェクトで、500人の雇用が生まれ、

さらに25kmに及ぶ用水路の完成で3000ヘクタールの田畑ができ、難民が地元に戻り16万人以上の生活を支えることが可能になりました。

3000ヘクタールってどのくらい?

3000ヘクタールは北海道にある霧多布湿原の広さと同等。

用水路プロジェクトには、建設費用・メンテナンス費用合わせて約20億円かかりました。

とはいえ、その20億円は日本政府からの税金が使われたわけではありません。

中村哲さんは日本全国で講演を何度も行い賛同者を募って寄付を呼び掛けていました。

結果、中村医師の活動に賛同した13000人の毎年3億円の寄付で用水路プロジェクトが進行しました。

一方、この用水路を日本の大手企業に任せると、500億円は超えるといわれています。

たった20億円で作り上げたことがどんなにすごいことかお分かりでしょう。

引き継がれる中村医師の名言

「100の診療所より、1本の用水路」

「相手の文化、慣習を尊重する」

「自分の色眼鏡は一旦捨てる」

「アフガニスタン人の命を救い、現状を変えたいだけで動いただけであって
平和活動のためにしたわけではなく、ただの副産物にすぎない」

「家族を守らないといけないから泥棒や麻薬組織に入る。本来、人はそんなことをしたくない。」

亡くなったあとの人々の動き


棺をアフガニスタン大統領が先頭になって担ぐ。
(画像引用)

アフガニスタンのKam Air カーム航空の機体に肖像画が描かれる。

(画像引用)

In this soil, in this soil
In this clean farm
We won’t plant any seeds other than the seeds of kindness and love.

この地に、この地に、
この無垢な耕地に、
思いやりと愛の他には、何の種も撒きません。

中村医師を称える画がペルシア語、パシュトー語で各地で描かれる。

中村医師を知るおすすめの動画と本

中村医師の活躍は、書籍や漫画、動画で公開されています。

私がおすすめする中村哲さんを知る上で役立つものを紹介します。

漫画

「アフガニスタンで起こったこと 〜不屈の医師 中村哲物語〜」

前編・後編あります。前編のみ無料公開しています。

なぜ中村医師はアフガニスタンで活動するようになったのか、現地での困難な活動体験など、
絵と文字でストーリー形式で描かれています。読んでて思わず引き込まれることでしょう。

動画


2016年にNHKで放送された動画。用水路プロジェクトの様子がドキュメンタリーとして描かれています。

医師の仕事をこなしながらも現地の人と一緒に土を運ぶ姿を見ることができます。

用水路プロジェクトがどんなに想像を絶するほど困難なプロジェクトだったか知ることができるでしょう。

中村哲さんが日本で行った講演会の動画。

NHKの用水路プロジェクトの映像だと、中村哲さんは常に前を向いてるので、気軽に話せるような人じゃないなって思いました。

講演会ではその印象が逆転。アフガニスタンの現状を笑いをたくさん含めて解説していたので、会場が大爆笑。

真剣さとユーモアも持ち合わせてる姿を、講演会の動画で知ることができます。

飢餓はまだ終わってない。

中村哲さんの用水路プロジェクトはNHKでも報じられ一件落着と番組は終わりました。

しかし、それはアフガニスタン復興のほんの一部しか過ぎません。

アフガニスタンは全国でまだまだ飢餓に飢えている人がいます。

中村哲さんはこれからどんどん復興させていくところでしたが、亡くなってしまいました。

中村哲さんの意志を引き継ぐペシャワール会では引き続きアフガニスタンの復興を行うようです。

募金もできるので、よければペシャワール会のホームページを見てみてください。

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